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● 同タイトル企画 --- 『sub rosa 1』 ●

 


 彼女が交通事故で死んで一年が経った。
 由香と出会ったのは大学の時だった。サークルに入ってきた後輩で二歳年下だった。明るく元気で片時も止まっていない。どこか危なっかしくていつも目線で追っていた。恋人の関係になるにはそんなに時間がかからなかった。俺は彼女が二十歳になるのを待って結婚をした。俺に家族がなく、まだ学生だと言うことで彼女の家族に反対されたが何より彼女自身が望んでくれた為に押し通して結婚したのだ。程なくして、娘が生まれたのだ。
 幸せだった。
 記憶にあるなかで、はじめて持つ家族だった。
 大切にしていた。
 けれど、あまりにも一瞬のうちに彼女は奪われた。
 それからどんな風に生きてきたのか、正直よく覚えていない。娘を引き取りたいと言い出した彼女の家族を追い返した事は覚えている。
 ただ、それから、どんな風に生活していたのか覚えていない。
 仕事をして、娘を養うだけで手一杯だった。
「……もうこんな時間か」
 俺は時計を見て息を吐いた。
 気付けばもう夕刻近くだった。日曜だというのに、仕事をこなすだけで終わってしまった。
 俺は子供服のデザインの仕事をしている。由香が事故で命を落とす前までは職場でデザイン画を描いていたが、彼女が亡くなって以降は会社側が気を使ってくれ、今までと同じペースで上げられるのであれば週三回ほど会社に顔をだすだけで、あとは自宅での仕事でも構わないと言ってくれた。仕事も大事だが、娘と過ごすのも大切なのだと、言ってくれたのだ。
 妻を亡くした男にどう接していいのか分からなかったというのも理由の一つだろうが、有り難い申し出に俺は甘えた。
 俺はテーブルに散乱した絵をまとめながら少し息を吐いた。
 そろそろ夕食を用意しなければならないだろう。
 何の相手もしてやれなくて娘もふてくされているのではないのだろうか。先週、ファミレスに行くという話だったが、結局忙しくて行くことが出来ず不機嫌になったばかりだ。泣きそうな顔して「いいよもう」と由香の拗ねた時と同じ表情で黙り込んでいた。今日こそ連れて行ってやらなければならないだろう。
 俺は周りを見渡す。
 姿が見えない。
「花音」
 呼びかけるが返事はない。
 隣の部屋で寝ているのだろうか。それとも庭先で遊んでいるのだろうか。それにしては酷く静かだ。
 心配になって立ち上がると、玄関ドアが開いた。
「おとうさん、ただいま!」
 その言葉で花音が出かけていた事に気付いて、俺は青ざめるのを感じた。
「花音! お前、一人で出かけるなってあれほど………っ」
 叫んで廊下を覗いた時だった。
 見知らぬ女がいて俺は硬直した。
 制服を着た女子高生だった。彼女は花音と手を繋ぎ、にこにこと笑いながら廊下を歩いている。花音が引っ張っているところを見れば勝手に上がってきた訳ではないようだったが、俺は混乱した。
 何故女子高生が花音と一緒に居るのだろう。そもそもどこの学校の制服だっただろうか。見たことはあるが、うまく思い出せない。
 少女は自分に気付いたようで軽く微笑んで頭をさげる。
「あ、こんにちは、お邪魔します」
「あ……ああ」
 間の抜けた返事を返してしまった。
 花音は嬉々とした様子で彼女を紹介する。
「あのね、さくらちゃんっていうの。おともだちになったんだよ!」
「お友達ってお前……一人で勝手に出かけて」
「ひとりじゃないよ、さくらちゃんもいっしょだったもん。それに、おとうさん、いいっていったよ?」
「そんな訳……」
 ない、と言おうとして血の気が引いた。
 仕事中話しかけられて何かを答えたのをどこかで覚えている。ちょっとそこまで行ってくる、そんな内容だった気がする。庭先だけで遊んでいると思っていたのだ。だから、適当な返事を返してしまった。
 もし、万が一花音に何かあったらどうするつもりだったのだろうか。
「ごめんなさい、私が連れ出したのがいけないんです」
 言われて、俺は彼女を睨んだ。
 そういえば、こいつは何者なんだ。
「お前、何なんだよ」
「水野さくらっていいます。南陽高校二年で、部活の帰りにここ通ったんですけど、庭の薔薇が綺麗でつい入っちゃったんです。すみません、無断で」
「ああ……薔薇か」
 庭の薔薇は今の季節綺麗に咲き誇る。
 由香が生きていた頃趣味で植えていたものだ。綺麗に手入れをしていたために草木を売っている場所だと勘違いをして庭先に入ってきてしまう人もいたくらいだ。俺では手入れが難しくて放置していたが、薔薇は確かに咲いた。だが、由香が手入れをしていた時に比べて綺麗とは言えないだろう。
「あの、薔薇、ちゃんと剪定してませんよね?」
「え?」
「その私も薔薇が好きで育てているんですけど、見たところちゃんと手入れしていないようなんで、少し気になって。それで、あの、花音ちゃんと剪定ばさみ買いに行っていたんです」
 言って彼女はビニール袋の中から立派な剪定ばさみを取りだしてみせる。
 園芸に詳しくないが、いいハサミのように見えた。
「ハサミなんか、庭にあっただろ」
「雨ざらしになっていたから錆びて使えなくて。お手入れするは…………あーー!!!」
 突然彼女が叫び声に俺は驚いた。
 何があったのだろうか。
 彼女の目線の先には洗濯物を干したままの庭先がある。風に吹かれたのか、バスタオルが薔薇の枝に引っかかっていた。
「やだ、だからバスタオルとかはベランダの方にほしてって言ったの!」
 彼女はバタバタとリビングを通り抜けて庭先へと出る。
 薔薇の枝に引っかかったタオルを丁寧に取りながら彼女はぶつぶつと何かを呟いている。
「あー、繊維がほつれちゃってる。これ、お客様用のタオルなのに。やっぱり秀ちゃんじゃバスタオルの位置だってわかんなかったんだわ」
「……おいっ! お前、何なん……」
「あーーー!」
 声をかけた瞬間彼女は俺を押しのけて今度はキッチンの方に向かう。
 放置したまんまのゴミ袋にはプラスチックゴミがつまっている。
 彼女はそれを抱えて涙目になる。
「やだ、ここまで酷いの? コンビニとか、カップ麺ばっかりじゃない! 信じらんない、花音まだ四歳よ。育ち盛りの子供にこんな栄養のバランス悪い物ばっかり……」
 俺はたまらず彼女の肩を掴んだ。
 何なんだ、こいつは。
 人の家に上がり込んで文句ばっかり。
「お前、いい加減にしろよ!」
「いい加減にするのは秀ちゃんの方よ!」
 叫ばれてぽかんとする。
 先刻は気のせいかと思ったが、何故彼女は自分の名前を知っているのだろうか。しかも、それは由香だけが呼んでいた愛称なのだ。
「仕事に忙しいのは分かるけど、花音には貴方しかいないのよ? 庭の薔薇はともかく、花音の世話くらいちゃんとしてくれなきゃ」
「な、何なんだよ、人の家のことを勝手に……」
「人の家って何よっ! 確かにほとんど秀ちゃんの稼いだお金でローン組んで立てた家だけど、私だって、裏庭に菜園作ったり、在宅の仕事で稼いだりして頑張ったんだから! 秀ちゃんだって、認めてくれているって思っていたのに……」
「お、おい……」
 突然泣きだした彼女に狼狽する。
 それ以上に混乱していた。
「お、お前、何でそんなにうちのこと詳しいいんだよ」
「……っ!」
 一瞬彼女の瞳が大きく見開かれた。
 言ってはいけないことを言ってしまったという風に口元を押さえている。
 そんなわけがない。
 なのに、何故。
「ご、ごめんなさい」
「おいっ!」
 彼女は逃げるように走り出した。
 止めるために彼女を追い掛けて見たが、俺が廊下に出た時は既に彼女は玄関から飛び出していった時だった。
 ばたんと音を立てて閉まるドアに俺はただ立ちつくした。
「……おとうさんの、ばかっ!」
 声に振り返ると涙目の花音が見えた。
 花音はくるりときびすを返すと二階へと駆け上がっていく。
「花音!」
 叫ぶが振り返りもしなかった。
 ばたん、とドアを開いた音が聞こえ、そのまま家の中に静寂が訪れる。
 俺は意味が分からず頭を抑えた。
「……何なんだよ」
 意味が分からなかった。
 あの女子高生は何者なんだろうか。南陽の生徒と言っていたから問い合わせれば分かるだろう。でも、何故この家のことに詳しかったのだろうか。俺は並はずれて稼ぎがいい訳ではないし、近づいても女子高生にメリットはないはずだ。イタズラにしては度が過ぎているし、何より何故。
「……何で由香と同じ事言うんだよ」
 ‘いい加減にするのは秀ちゃんの方よ’
 ケンカするたびに何度聞いただろうか。泣きながら、全速力で彼女は俺を詰った。分が悪い時に口で任そうとした俺に、最終的に彼女はそう言う。
 仕草も、表情も彼女のものだ。
(何で……)


 何で彼女が、由香に見えたのだろうか。

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