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(ORPG・イヴェルサイド)

その時、彼の想うこと 上



 セレネ・ソルへ通じる森にはまともな道など存在しない。そのためこの森の奥に村があることすら知らない人間も多い。ただ森の直前には確かに街道のようなものが存在しており、少なくとも人が行き来しているのが知れる。
 鬱蒼と覆い茂る木々は他からの進入を拒むようにあり、不用意に立ち入った者が森に喰われたまま出てこれないという噂さえあった。
 そこに杖を突いた隻脚の男が入っていったのは日も傾き掛けた夕暮れの事だった。辻馬車を降り、森に向かって進んでいく彼を他の客は不思議そうに見やったが、馬車を繰る男はこの森の奥に村があることを知っていたため引き留めることはなかった。
 森の中に一歩足を踏み入れると、彼の視界に「道」が見える。
 ここに‘まともな’道がないのはこの森全体にかかった強力な魔法の為だろう。悪意をもって進入されないように、セレネ・ソルの道は惑わしの術がかかっている。彼にその惑わしが効かないのは彼に悪意がなく、また村に訪れた経験があるからなのだろう。人を認識するあたり複雑な魔術を組んでいると思うが、この森に術をかけたらしい男はこれをただの‘まじない’と呼んだ。
 がさり、と物音を聞いて彼は一瞬警戒をする。
 だが茂みからのぞいた黒い尻尾を見て微笑んだ。
「サーザ」
「ん、匂いがすると思ったら、いべるか。あるふれどじゃないのか」
 茂みから顔をだし、明らかに残念そうに少年は呟いた。
 人の形をしているが猫のような耳と尻尾がくっついている。獣人のようにも見えるが、彼は魔物の一種だ。人の言葉を操るのだから、種として高位の魔物なのだろう。だがそれを微塵も感じさせない人懐っこい雰囲気で彼はイヴェルの元に近づいてくる。
「何だ、俺じゃ不満なのかよ?」
「いべるは楽しい。でも、いべるは‘けんきゅーしゃ’だ」
「……うん?」
「おれ、きいたぞ。けんきゅーしゃは、自分の子供も、じっけんに使う悪いやつだ。だからいべるも、悪いやつ」
「極端な話だな。確かにそう言うことする奴もいそうだけどな……俺は悪い奴か? お前に何か酷いことしたか?」
 黒髪の少年は左右に首を振る。
「してない」
「サーザは俺のことが嫌いなのか? ん?」
「嫌いじゃないぞ。いべる、遊んでくれる。時々へんだけど、いいやつだ」
「変? 俺のどこが変だって?」
「絵を描くのにむちゅうになって、木の上にいるの忘れて墜落したり、獣人に見とれて木に激突したり、本を読んで柱にぶつかって、柱に謝っていたり、それから……」
「だーー、もう、いいっ!」
 過去の失態を上げられてイヴェルは真っ赤になって止める。
 改めて言われると非常に恥ずかしい。
「とにかく、だ。お前が俺を嫌いになったならともかく、勝手に俺を悪人にして嫌いになるなよ」
 わかった、とサーザは頷く。
 彼の頭をかき混ぜるように撫でると、彼はくすぐったそうにしながらも尻尾を上げた。
「最近アルフレドの奴、こっちに来ていないのか?」
「そうだ。だからあるふれど待ってた。あるふれど、お見合いするって言ってた」
「お見合い? ……あー、そうか、なるほど」
 少し前にアドニアの作法についてアルフレドに聞かれた事がある。社交界のマナーまで聞かれて何事かと思ったが、彼はお見合いをすることになったと言った。
 どんな相手なのか聞いてもはぐらかされるだけだったが、話しぶりではアドニアの、結構身分の高い人のようだった。しかもシウ家やリンドホルム家も関わっているとなれば大がかりなものだ。
 ジルが関わっているのであれば滅多なことはないだろうが、政略的な意味合いで結婚するとなれば少し彼が不憫に思える。出来ることならば彼はきちんと恋愛をして、愛する相手と家庭を築いて貰いたいと思っている。
 イヴェルは歩きながらサーザに問う。
「お前、相手どんな人か知っているか?」
「えあ。じーじがえあにお見合いの話、してた」
「……ふぅん? なるほど、それでシウが噛んだ訳か」
 おそらくシウ一門の娘なのだろう。
 さすがにアドニアの貴族の娘がシウ一門だというのは少し驚くが、別におかしな話でもない。
「そのエアって娘は、アルフレドと面識あるのか?」
「仲良いぞ! たのしそうに、はなししてたぞ。おちゃものんでた」
「楽しそうに、ねぇ……ふぅん、あいつがなぁ」
 色恋沙汰に全く縁のない男だと思っていた。
 増して仕事以外で女と親しく喋っている姿はあんまり見ない。あるいは自身も本気なのかもしれない。
 ならば少し安心だ。
 少なくとも相手が嫌いでなければそれでいい。
「サーザもえあ、好きだぞ! やわらかくて、抱きしめてくれる。それにいい匂いだ」
「お前……子供の特権最大限に利用しやがって」
「とっけんってなんだ? 旨いのか?」
「ああ、ある意味‘うまい’だろうな。俺もお前みたいな子供だったらあんな酷い目に遭わずに済んだんだろうが……」
「なんだ、いべる、酷い目にあったのか?」
「獣人の姉さんに話しかけたらナンパと間違われて、押し倒さ……いや、この話は止めておこう」
「?」
 子供に聞かせる話ではないとイヴェルは首を振った。
 何事も無かったが、あれこれ聞かれてもイヴェルの方が困ってしまう。
「エアって、いい子なんだな」
「びじんだぞ。村のひとにもにんきある。このあいだ、しうのもんかせい二人に、好きだーーって言われてた」
「なんつー魔性」
「でも、自分はだれかと付き合うこと何てできないって、いった」
「ふーん、身分の問題かな」
 呟くとサーザはニコニコと笑う。
「あのな、いべる」
「ん?」
「えあは‘ちち’と‘せんせー’と‘ありお’が大好きなんだ」
「何で分かるんだ? つーかアリオって誰だよ」
「えあは、その三人の話をするとき、ふわふわなんだ。ありおは‘ちち’のそっきんだって言ってた」
 イヴェルは絶望的な気分で天を仰ぎ見る。
「なんだその、騎士と姫君は。あいつの出る幕ねーじゃねぇか」
 貴族に使える騎士と、貴族の娘である少女との身分違いの恋。よく旅の一座の演目に使われそうな話だ。そこに見合い相手として加わるアルフレドは横恋慕をする恋敵にしかならない。優しい男だ。惹かれ合う二人を見てしまえば身を引くだろうし、例え全部承知で彼が向かったとしても苦しまない訳がない。
 相手に気遣いを与えない為にわざと傷つけるような事を言って、逆に彼が傷ついてしまう。相手に好意を持っていればなおさらだ。
(くそ……、もう少し早く知っていれば良かった)
 不意にサーザは歩みを止めた。
 イヴェルも同様に足を止めて振り返る。
「どうした?」
「ゆなん、来る」
 一瞬誰のことを言っているのか分からなかったが、すぐに把握する。
 デュナン、と言ったのだ。それはシウ家の現当主の名前だ。
 とん、とサーザは足を鳴らして森の奥の方へと駆けていく。素早い動きにはさすがに付いていくことが出来ず、イヴェルはゆっくりと奥へと進んだ。
 やがて、がさがさと音が聞こえたかと思うと、森の奥から一人の老人が姿を現す。その周りを飛び回るようにサーザがまとわりついていた。
「手紙が届いたから、そろそろ来る頃だと思っていたよ」
「わざわざ俺を出迎えに?」
「散歩がてらね。元気そうだね、イヴェル君」
「お久しぶりです、デュナン師父。お元気そうで何よりです」
 軽く頭を下げてイヴェルは挨拶をする。
 デュナンにじゃれついていたサーザは不満そうに口を尖らせた。
「なんだ、いべるはゆなんに用事があったのか?」
「師父に、つーか、薬をもらいにな」
「くすり? どっか悪いのか?」
「髪の毛を染める薬だよ。ほら、俺の髪、ここから色が違うだろ? イカスとおもわねぇか?」
「うん、おいしそうだ」
「おいし……あー、ま、いいか」
 そのやりとりにデュナンが声を立てて笑う。
 疎ましく見やると、デュナンは口元を押さえて笑いをかみ殺し、サーザに向かって言う。
「サーザ、すまないが、少し向こうで遊んでいてくれないか?」
「なんだ、ないしょの話か? サーザは仲間はずれか?」
「そうじゃねぇけど、少し難しい話だ」
「うー、難しい話きらいだ」
「だろ。あとで遊んでやっから、今は向こういってろ、な?」
 笑いかけるとサーザはキラキラとした目でイヴェルを見つめる。
「本当か? うそつかないか?」
「つかねぇよ。だから、向こういってな」
「わかった、うそついたらハリセンボン飲ませるぞ!」
「フグかよ」
 苦笑して、サーザを見送る。
 それを見てデュナンもまた笑った。
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