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白い小虎の話(ORPG・ヒルトサイド)

 ヒルトが義理の母親を殺したのはほんの数日前だった。
 幼い頃から病弱だったヒルトの身体が、病などではなく呪いによって蝕まれていることを知ったのは二年前、十二と半年の時だった。アドニア王に呼ばれて城を訪れていたデュナン・シウという魔法使いを紹介され訪ねると、背の高い魔法使いはヒルトの顔を見るなり複雑そうな顔をした。末期の患者を診る医者のようでも、ヒルト自身の状態に畏怖するようでもあった。
 男から告げられた言葉はその当時のヒルトには理解しきれないところがあった。
 だが、呪いが完全に抜けた今の身体では理解できる。
「まさかたった二週間で背を抜かれるなんてな、お前の身体どうなってんだよ」
 カサンドラ王女は背の伸びた友人に向かって呆れたように言う。
 ヒルトは微笑みもせずに答えた。
「獣並みの驚異的な生命力だそうだ」
 ヒルトの身にかけられた呪いは魔法使いが「生きているのが不思議だ」と評するほどに複雑で強いものだった。本当は最初に呪いをかけられた時点でヒルトは死ぬはずだった。徐々に衰弱をしてやがては死に至る。そのはずだった。しかし彼の驚異的な生命力は呪いを弾き飛ばしていた。
 だから術師は焦ったのだろう。
 焦って呪いの上から再び呪いをかけた。ようやく彼の身体に変調が来たのは彼が五歳を迎えるころだった。伏せがちになった彼に安心したのだろう。暫くは彼の身体に新たな呪いがかけられることは無かったのが、伏せっていても一向に衰弱する気配のない彼に新たな呪いがかけられた。その行為は何度も繰り返され、幾重にも重なった呪いが絡みつき、普通では解くことが出来ない状態にまで陥っていた。
 無理に解こうとすれば絡まった呪いが命を縮める。
 一気に解くことは難しく、少しずつ解いていれば彼に呪いをかけた術師に見つかってしまう。
 考え込んだデュナンは応急処置を施し一度故郷に戻った。
 彼がアドニアを再び訪れたのは半年後のこと。呪具と技術を持って戻った彼はヒルトの呪いを解きながら編み上げ再び彼へ返すという複雑な作業をした。そうすることで術師の目を欺き、最後には一気に解けると判断したのだ。
 それでもその作業は長く続き、十三になった彼の身体にも限界が近づいていた。
 一度は仮死状態になったヒルトを支えたのはデュナンが父上と呼ぶ魔法使いだったらしいが、正直良く覚えていない。
 呪いを一気に解かれ、目を覚ましたヒルトは身体が軽くなっている事を感じた。実際複雑な呪法で体力を失っていた事もあるが、それ以上にかけられた呪いが解けることで彼の身体が本来の自由さを取り戻したのだ。
 ヒルトを呪っていた首謀者が、義母である事を知ったのは、完全に呪いが解けてからだった。
 事実を知った時、殺さなければならないと思った。
 怒りや憎しみがあった。でも、それ以上にこのままではあまりにも弟が哀れだった。
 半分しか血の繋がらない兄である自分。身体が弱くて迷惑しか掛けられない。それでも弟は自分を慕ってくれていた。その弟が、実の母親が自分をロニスの当主にするために兄を殺そうとしていたと知ったらどうなるだろうか。
 母親が生きたままでは彼は肩身の狭い思いをする。かといってロニス嫡子の殺人未遂罪として城に捕らえられたとしても彼は一生兄に対して罪悪感を抱きながら生きることになる。
 ならば恨ませてやろうと思ったのだ。同時に彼がどんな立場になったのかを知らせなければいけないと思った。
 ヒルトは義母を殺し、同時に術師を殺した。
 それに立ち会ったカサンドラ王女の証言で、ヒルトの行為は正当防衛と認められ罪には問われなかった。
 呪いの消えたヒルトに残ったのはその戦闘の際に付けられた額から頬にかけて真っ直ぐ降りる傷と人を殺したという感覚。
 罪悪感などは無かった。
「二週間前まではおれのほうが身長も高かったのにな。今のお前、他の誰かが見たら別人だと思われるぞ」
 カサンドラが笑う。
 呪いから解放されたヒルトの身体はすぐに成長を始めた。まるで抑圧されていたものが一気に吹き出していくような感覚。手足はまだ細く頼りないが、隣に並ぶ少女カサンドラより小さかったはずのヒルトはいつの間にか背を追い抜かしていた。
 もう暫くすればチビとバカにしていたカサンドラをチビと呼べるかも知れない。
 そう思うと覚えずヒルトの口元に笑みがこぼれた。
 彼の思っていることが分かったのか、カサンドラは不機嫌そうに言う。
「お前可愛くないぞ。おれが王女だってこと忘れているんじゃないのか?」
「王女だったらもっと王女らしくしろよ」
「今更お前に取り繕ったって中身知ってるんだから無意味だろ。それとも‘ご機嫌麗しゅうございます、ヒルト様’とでもやって頭下げた方が良いか?」
 わざわざ声を高くして優美な笑みを浮かべたカサンドラにヒルトは嫌そうな視線を向ける。
 カサンドラがやるから気持ちが悪いと言うよりも、貴族の女達を連想して嫌だった。
 貴族の女達は綺麗だと思うが、好ましく思ったことはあまりない。こんな時代だというのに身分にこだわり、着飾ったり贅沢をするしか興味がない。そんな女達をどうしたら好ましく思えるのか。それこそ聞きたいくらいだった。
 もっとも、アドニアの貴族の女達の頂点に立っているのが王女であるカサンドラだ。同じように振る舞うことは出来なくもないが普段はそうとは思えない程乱暴でがさつな女。それが好ましく思えてしまう自分の目は腐っているのだろうか。
 カサンドラは嫌そうなヒルトを笑い、そして不意に表情を止める。
「お前、これからどうする? ロニスを継ぐのか?」
「そのつもりだ」
「……もっと」
 カサンドラの表情に鋭い色が混じる。
 彼女の言葉を聞き取ろうとしてヒルトは彼女の方を向く。
「もっと、大きなものを手にするつもりはないのか?」
「大きなものだと?」
 彼が下級貴族の家であるロニスを継ぐと決めたのはそれが今のヒルトが手に出来る最高位だったからだ。無論そこで止まるつもりなど毛頭無い。ほんの僅かでも利用できるものは最大に利用して、のし上がる。
 義母を殺して初めてヒルトはこの国の現状を直視した。
 成し遂げたい事が出来たのだ。
 生まれて初めて生き延びる以外のことで強く願ったこと。
「玉座だ」
 カサンドラの言葉にヒルトは獰猛に笑った。
「そいつは面白い」
「ヒルト、王になれ。玉座ならおれがくれてやる」
 途方もないことだ。
 彼女は王女であるが、兄たちがいる。
 けれど実現不可能だとはヒルトは言わなかった。
「何故だ?」
 低く訪ねる。
 強い青の眼差しが戻ってきた。
「おれは女で、お前は男だ。いくらおれが強くても女と言うだけで侮られる。他国に女王がないわけじゃないが、女に玉座は向かない。この国では尚更だ」
「お前を飾り立てる王になれとでもいうのか?」
 ふん、とカサンドラが笑い飛ばす。
「飾り物でいられるような性格かよ」
「よく分かってんじゃねぇか」
 飾りの王になるつもりなんかない。
 傀儡の王が欲しいのなら、彼女もわざわざヒルトには言わないだろう。彼女が欲しいのは同盟者、いやむしろ共謀者とでも言うべきだろうか。
「国を立て直す。そのために並んで歩く男が欲しい。他の男じゃダメだ。王の目を持った男じゃなければおれと並んで歩けない」
「俺にはそれがあると?」
「そうだ」
 きっぱりと言い放つ。
「その身体じゃ些か威厳が足りないが、そのうちマシになるだろうな。髭でも生やせば貫禄が出るし、何よりその傷、お前の瞳の鋭さが増していい。何ならあの魔法使い呼びつけて、お前の成長早めてもらうか?」
 悪戯っぽい目。
 そんな呪術があるのか知らないが、ヒルトは少し苦い思いで首を振る。
「いい。今だって急に成長してそこら中痛いんだ。これ以上やられたら、貫禄が出る前に精神がやられる」
「はんっ、そんなヤワなタマじゃねーだろうが、お前は」
「お前に比べたら男はみんな繊細だよ」
 とても王女と貴族の長男の会話ではない。
 けれど、それがカサンドラとヒルトの会話。
「一年」
 ヒルトの言葉にカサンドラはぴくりと表情を動かす。
「一年待て。お前のいるところまで行く」
 下級貴族が城勤めになる。それは難しい事だった。多分今のままではヒルトは玉座を望めない。まずはカサンドラと、いや、王女に近づく必要があるのだ。
 少なくとも王女付きの騎士になれるだけの実力と技量。そして、それを認めさせる後ろ盾も必要なのだろう。一年で出来るわけがない。ましてヒルトはまだ若く、今までまともに動けなかった分、名もあまり知られていない。
 カサンドラが自分の側にと言えば或いは認められるかも知れない。だが、それでは駄目なのだ。自尊心の問題ではない。それではヒルトが王女に取り入って地位を得たように見られる。それで王になったとしても、カサンドラが王になった時と大して変わらないだろう。
 この国に必要なのは当たり前の王ではない。
 覇王だ。
 下級貴族であるロニスの名前だけが今のところヒルトの持つ武器。それだけでどれだけ味方に付けられるだろうか。どこまで上れるだろうか。
 試すような目でカサンドラはヒルトを見る。
「……温い、半年だ」
「いいだろう。約束する」
 ちらりとカサンドラが笑う。
「いいのか? おれは約束を違えるような男は好きじゃない」
「実現不可能な約束はしない。この程度のことこなせないようなら大した王にもならんだろう?」
 普通なら到底不可能だった。
 初陣も果たしていないような男が、王女付きの騎士にまでなるとは誰も思わないだろう。
 だが年が明けてアドニアの短い冬が去る頃、一人の男がカサンドラ王女の専属騎士として城に召し抱えられる。その地位は下級貴族であったが、先代王の義弟に当たるローア卿の推薦を得て彼は城内に入った。
 それはヒルトとカサンドラの間で約束が交わされ丁度半年目のことだった。
 無名の男がどうやってローア卿の後ろ盾を得たのか知るものは少ない。
 ただ、これが後世まで語り継がれるヒルト王の伝説の幕開けとなった。



 そして同じ年、その年が明けて六回目の満月が巡る頃、カサンドラの兄の一人が落馬により命を落としたのであった。
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