ORPG・アドニアサイド

モクジ

  ある国の恋の物語  

 



 ヒルト王が私室へ人を招く事はとても珍しい事だった。
 国王らしからぬ開け放ったような性格の彼は、こそこそとすることを嫌い、人払いという行為すらあまりない。
 その彼が個人的な話があると招いたのは若い魔剣士だった。
 古参の人間ならばこの若い魔剣士が十数年前初めて訪れた時から外見年齢に全く変化がないことを知っていたが、城内関係者の多くはシーリィン王女が魔術を学ぶために遊学していたセレネ・ソルで「師」と呼ばれる立場にある人間としか知らない。そのため多くが王が世界を悩ませる「魔物」の討伐のために招いたのだと思っていた。
 実際の所「不死身のジル」と呼ばれる魔剣士は王の行動に対して協力的であり、過去に共に戦い兵を助けたという経歴もある。
 だが、この時ばかりは王が招いた目的も、彼がそれに応じて招かれた目的も全く違ったものだった。
「わざわざ悪かったな、ジル。適当に腰掛けてくれ」
「そうさせてもらうよ。……息災であったようだね、ヒルト王、そなたの顔は以前よりもずっと若々しく見える」
 褒め言葉をもらってヒルトは声を立てて笑った。
「褒めても酒しか出ねぇぞ」
「出るものがあるようなら、もう少し褒めてみようかね」
「おう、ならもっと褒めて、飲め。アンタが来ると弟んトコから秘蔵をくすねて来た。ありがたく味わえよ」
「おやおや、ご令弟には申し訳ないことを」
 そう言いながらもグラスをすすめられたジルは拒否をしなかった。
 以前刀鍛冶の男に‘オロチ’と称された程の酒豪であるヒルトは自他共に認める酒好きである。その彼が過去に「酒豪対決」をして唯一負けたのはジルであり、ヒルトの中では彼も相当の酒好きと認識していた。
 実際ジルは体質的に酔いにくい為に無駄だと飲む機会を減らしているものの、お酒を飲むことは嫌いではなかった。ただし、ヒルトと違い量よりも質に拘る方であり、王弟の秘蔵という酒を注がれて断らない訳がなかった。
 グラスに注がれた琥珀色の酒の香りを楽しみ、ジルはグラスを上げた。
「この国の王に」
 ちらりとヒルトは笑い、同じようにグラスをあげた。
「なら、この国の王の恩人に。………アンタのことだ、俺がわざわざ文を出した理由、分かっているだろう?」
「そうだね、二人きりで会いたいと逢瀬をせがむような手紙を送られては悟らない訳にいかない」
 からかうようにジルは笑う。
 ヒルトは少し顔を顰めた。
「気色悪い言い方すんじゃねぇ」
「でも実際の所、遠からずというところだろう? 問題はそれがそなたのことではなく、シリンのことというだけで」
 言うと王は持っていたグラスの中身を飲み干す。
 空になったグラスを握りつぶしそうな程固く掴み凝視する。
「……いい加減婿をという話が強まってきた。出来ることなら、あいつの好きなようにさせたい。だがそうも言っていられないだろう」
 ジルもグラスに口を付ける。
 蜜のような芳醇な香りを奥から感じる。本当に質のいい酒のようだ。
「悪いことに俺の子供はあいつの他にない。血筋に関しては俺という前例がある以上、ある程度の体裁を整えさえすれば何の問題もないが、そうそう待ってもいられないことだ。そろそろ本気で結婚の話を進めようと思う」
 そう言った彼の口調はいつになく重い。
 乗り気ではないのが良く分かる。
 早くに母親を亡くしたシリンは父親をとても大切に思っている。そして王として、武人として尊敬もしている。そのヒルトが縁談の話を持ちかければシリンは否とは言わないだろう。それが政略的なものであったとしても、彼女は王女としてそうするべきだと頷く。むしろ父親の役に立てるのだと喜ぶ。ヒルトが口にした時点でシリンの先は決まってしまうのだ。それを考えると頭が重い。
 以前、ジルに対してシリンとの結婚を持ちかけた事がある。あの時はヒルト自信がジルという魔剣士を国に招きたかっただけの話ではないのかとジルは思っている。
 あれから十年以上経過しているし、今は事情が少し変わっている。
 ジルは少し困ったように笑った。
「男に生まれたかったと言うくらいだからね。一時期は自分の女の部分を嫌悪しているところがあった。感情に関しても気付かぬふりをしているだろう」
「……あんたの目から見ても、そう見えるか」
「無駄に長く人を見ていたからね。そなたほどとは言わなくとも、多少感情に対して素直であればいいと思うのだけれどね。シリンも、アリオト殿も」
 教え子を訪ねて来た訳ではないが、アドニアを訪れることになった時、ジルはシリンとアリオトが共にある姿を見ている。一緒に居るところを見かけたのはほんの数回だったが、ジルの目には確かに互いに惹かれ会っている男女のように見えた。
 だが、問題はどちらもお互いの感情を殺している風があった。
 王女と騎士という間柄は、世界的に見ても珍しいケースではないだろう。王の性格を考えれば二つ返事で結婚を許すだろう。それでもお互いに遠慮をしている風が見られる。或いは本気でお互いの気持ちに気付いていないのかも知れない。
「……貴族達からは反発はあるだろうね」
「黙らせる。そもそもこの国に俺やアレ以上の仕事が出来るヤツが何人いると思う? 謀反起こす位の気概もねぇくせにぐだぐだ吠えるだけの連中なら、まとめて捨てる」
「言い切ったね。……父親としては複雑ではないのかね?」
「そりゃ、何も感じねぇっつーたら嘘になるが、あいつ程の男はそういねぇし、互いに惚れてるなら文句はねぇ。それに俺としちゃ、あいつは………家族のようなモンだと思ってる」
 ヒルトは家庭に恵まれなかった男だ。
 幼い頃母親を亡くし、信じていた義理の母に裏切られ、そして自らの手で殺害するまでに至る。王女と結婚して子供も出来たが、幸せな生活は長く続かず若くして妻を失った。誰に対しても平等な顔を見せるヒルトだが、近くにいる人を大切に思っているのは分かる。特にアリオトに対しては顕著だった。
 初めそれは主従関係からくる信頼関係だと思っていた。だが、旅先で幾度と無く協力する間柄になれば見えてくるものがあった。彼らの間には、周りや本人達が思っている以上の信頼関係があるのだろう。現に家族と呼んだヒルトは随分と優しい目をしていた。
 その目が不意に鋭くなった。
「問題は、あのどっちも自分の感情を自覚してねぇってことだ」
「そうだね。一番の問題はそこだろう。特にシリンは自分の気持ちに頑なになりすぎている」
「あいつらが自覚するのを流暢に待っている間はない。アドニアと誼を持ちたがる国はこの周辺だけじゃないからな」
 一人娘である彼女を外国に出す訳にはいかない。代わりに王家に近い貴族や継承権の薄い王子などが彼女へ婚姻を求めている。今までは戒律や宗教的問題と誤魔化せたが、そろそろそんなことも言っていられなくなる。一般人ならばともかく、王女という立場としては婚姻が遅すぎるのだ。
 下手をすれば含みがあるのではと宣戦布告をされるかもしれない。さすがに大国となったアドニアを攻撃する国は少ないだろうが、心証を悪くすれば国交に問題が出てくる。それは避けたいことだった。
「……少々手荒な行動をしてみてはどうかね」
「俺も考えなかったわけじゃねぇが、本当にそれでいいと思うか?」
「いいとは?」
「無理にくっつけるような真似をして、それが不幸を招いたらどうする? 覚悟も何も出来ねぇうちに周りが押して、転んだらどうする? 俺はあいつらの不幸は見ていられない」
 ジルは笑って酒を含んだ。
「そんな内側への考え方は、そなたらしくもない」
「一人娘と、俺の背を任せた男のことだ。慎重にもなる」
「………」
 ジルはテーブルにグラスを置いた。
 王妃が生きていれば、またシリンが男に生まれていればまた事情は違ったのだろう。ヒルトが戸惑っているのは彼女が女であると言うこと。
 数多く女を見てきて良くも悪くも知っている彼だから、不意に生まれた可能性を否定しきれなかったのだ。だから慎重になりすぎているのだ。
 普段なら自分の意思だけで実行できるこの男が自分に意見を求めてくる程に。
「……君はカサンドラ王妃を失っている。それはあまりにも辛いことだった。君に出会わなければ彼女はまだ生きていたかも知れない。………としたらはじめから出会わない方が良かったのではないかね」
 どん、とテーブルを叩くようにヒルトはグラスを叩き置く。
 瞳の奥が魔物を見据えるように強い光を帯びた。
「………おい、ふざけるなよ、俺はともかく、カサンドラを侮辱するな。あいつも俺も、同じ運命に辿り着くって知っても絶対にこの道を選ぶ。俺たちの出会いすら否定するんじゃねぇよ」
「同じ事だよ、ヒルト」
 ジルは背もたれにもたれかかるように座った。
「君たちは出会わない方が不幸だった。愛し合えない方が不幸だった。あの時ああしていればと後悔することはあっても、出会いを否定することは出来ない。……それはあの子たちとて同じ事だと思うけれどね」
「…………」
「背を押してあげなさい。そうしなければ後で気付いて後悔することになる。知っていて道を選ばないのであればそれでいい。けれど、初めから選択肢を隠しているのとは意味が違う」
 ヒルトは髪をかき混ぜる。
「やらないで後悔するよりやって後悔しろってことか?」
「後悔と初めから決めつけてはいけないよ。苦労はあるだろうが、後悔にはならないと私は思いたい」
「俺もだ」
 ぐっと、ヒルトは残っていた酒を飲み干す。
「よし、不死身の、お前アレだ、協力しろ」
「それは人にものを頼む態度ではないと何度言えば分かるのかね?」
 くすくすと彼は笑う。
 協力を惜しむ気持ちは初めからない。
 共に戦った青年と、自分の愛弟子の事だ。どちらかが相手の迷惑を顧みずに一方的に迫っているだけだったり、どちらかの素行があまりにも悪いならば協力はしなかっただろうが、ジルにとってはどちらも好意的に見える。
 ならば協力しない理由がない。
 ヒルトに倣ってグラスを空けると、ジルは少し背筋を伸ばした。
 少し、忙しくなりそうだった。
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