ORPG・アドニアサイド

モクジ

  太陽の国の王女の話  

 




 見合いの話が舞い込んで断るいい訳を考える間もなく、どんどんと話が進んでいった。
 相手の男はアルフレド=リンドホルム。シリンも知らない相手ではない。ヒューフロストの大きな商家の三男であり、同じシウ家に学ぶ人物である。
 書物のことに関して時々熱くなりすぎる所もあるが、物腰が柔らかく、博識な人という印象を受けた。話していて好感の持てる相手でもあった。相手のことが好きかと問われれば迷いなく好きと答えるだろう。
 親類であるジズは幼い頃から姉弟のようであり、同時にアドニアを守る同盟者でもあった。城内に他に同年代の異性がいなかった訳ではないが、あくまでアドニア王女シーリィンとして振る舞っていたため、友人関係になれる相手はいなかった。
 だからなのだろう。
 アドニアの外で出来た‘友人’である彼にはある意味特別な感情を持っていた。ただ、それが‘恋愛’であるかと問われると彼女は即座に否定しなければならない。彼を好きではあったが、人として好きなのであって異性として好きな訳ではないのだ。
 そんな彼とのお見合いの話が沸いて出た時、師であるシュゼルドの悪い冗談なのだと思った。
 だが彼は普段と変わりない穏やかな口調で形だけでも会ってみてはどうかと言った。当然の事ながら父親は反対するものだと思っていたが、その父すらも一度アドニアに招くつもりだと言った。
 話を聞いてから見合いの席が準備されるまでにほんの僅かの時間だった。断りの言葉を探している間にいつの間にか見合いは明日に迫っていた。
 シリンはバルコニーから見えるアドニアの国を見下ろして小さく息を吐いた。
「シーリィン様、護衛もつけずこのような場所でどうされたんですか?」
 問われてシリンは振り返って微笑む。
 夜の少ない明かりでも綺麗に見える白い肌と、赤い髪の女だった。人によっては彼女を男だと勘違いをするほど体つきは良く、厳しい表情は男性的であった。ただ、シリンは彼女のことを昔からよく知っている。
 シリンは彼女に向かって笑いかける。
「一人になりたくて抜け出してきたのよ」
「明日は見合いなのではないのですか?」
「ええ、どうお断りするべきか悩んでいるの。ねぇ、リズ、先方を怒らせないよう断る方法はないかしら」
 訪ねると彼女は少し不思議そうにし、シリンの側まで近づいてくる。
「お断りするつもりですか?」
「ええ」
「お嫌いなのですか?」
「いいえ。いい方よ。先生が信頼するくらい。……でも、あの方はこのアドニアの王には向かない」
 シリンと結婚すると言うこと。それはいずれアドニアの王になる可能性を意味している。場合によっては先王の弟の息子であるジズが王位継承をし、シリンの夫が補佐をする形になる可能性もあるが、当のジズが継承に関して頭を縦には振らないだろう。幼い頃交わした約束のように国の為にシリンと夫婦になるというのならば話は別だろうが、彼はそう言うところは父親に似てしまっている。
 ジズがそうである以上、シリンはいずれ王になる人間を選ばなければならないだろう。それが当然であり、嫌だと思ったことは一度もなかった。
 ただ、アルフレドは王に向かないと思う。
 もっと小さな穏やかな国であれば彼は上手くやれるだろうと思う。そのためにシリンが補佐するのもやぶさかではない。
 アドニアは今でこそ穏やかであるが、シリンの幼い頃には多くの戦があった。ヒルトは一度たりとも侵略のために他国に軍を入れたことがない。それでも国土は広がり今では大陸南西部で最大の国となっている。アドニアは王が望もうと望まざるとも戦とは切り離せない国なのだ。
 その国に彼が立てばどうなるのかは目に見えて明らかだ。
 穏やかすぎる彼はこの国に押しつぶされるだろう。
「失礼ですが、陛下は今回の見合いの一件を推していらっしゃるのではないのですか?」
「ええ、先生もお父様も乗り気のようです。リンドホルムと誼を結ぶことは私も悪いことだとは思いません。……私に兄がいたのならば私も喜んで婚姻を望んだでしょう」
 言ってシリンは目を伏せる。
「シーリィン様はそれでおよろしいのですか? それは政略結婚です」
「アドニア王ヒルトと王妃カサンドラの元に生まれた時点で覚悟はしています。私の存在は国のためにあるべきもの。嫌いでない相手であれば拒む理由などありません。けれど今回の話は違う。……正直言えば先生や父の意図しているところがまるで分からないの」
 リンドホルムの意図は分かる。アドニアにギルドが欲しいのだ。アドニアもインテグラを拠点として利用出来れば今後魔王討伐の為に各国が団結する足がかりになるだろうと思っている。ヒューフロストと繋がりを持ち、往来がもっと簡単になれば産業の発展にも繋がる。
 だがそれであればわざわざシリンが結婚する必要もない。増して相手は三男なのだ。長男であるならまだしも面識があるという理由だけで彼との見合いを持ち込んだ意図が分からない。
 増して、北と南の大国が手を結ぶとなると他の国を刺激しかねないと慎重な姿勢を見せていたのは他ならぬ父だ。今更何をするつもりなのかと不安になる。
 それに。
「………」
 シリンは目を閉じる。
「シーリィン様……」
 心配そうなリーザの声が聞こえる。
「あの、差し出がましいようですが、シーリィン様には今心に浮かぶ方があるのではありませんか?」
「………」
「その方は、貴方から見て王に足る人物なのではないですか?」
 シリンは何かを誤魔化すように笑ってみせる。
「ジズのことを言っているのなら貴方の勘違いよ。彼は私にとって同士、それだけの話」
「いえ、ジズ・リ・ロストのことではなく……」
「……お願い、それ以上は言わないで」
 頭を振って制止すると彼女は一瞬まだ続けようとしたが、すぐに黙り込んだ。
 言われたら気付いてしまう。自分の感情に。
 彼女が誰のことを言おうとしたのかは知っている。そして自分が誰のことを考えているのか知っている。
 自分の態度は恐らく分かりやすい。彼が他の女性と話しているだけでもやきもきし、きちんと笑えている自信すらない。誰に対しても平等であろうとしても、誰も特別視するつもりはなくても何かあれば彼を呼んでしまう。彼を頼るし、自然に目で追ってしまう。
 それが「誰」かは分かっている。
 でも気付いてはいけない。
 見ない振りをした。見てはいけなかった。いずれシリンは国の為に結婚する。彼と結ばれる訳にはいかないのだと思った。
「私は……国と結婚しているの。今更他の誰かと結婚なんか出来ないわ」
「……シーリィン様」
「ふふ、でも、それって言い訳ね。本当は自信がないの」
 シリンはバルコニーの手すりに寄りかかって空を見上げる。
 行儀が悪いと咎められるような姿だ。
 こんな格好リーザでなければ見せていない。
「国か大切な一人か、選べと言われれば私は国を選びます。どうあってもその方を一番に扱うことは出来ない。そんな私を誰が好きになってくれるのかしら」
「シーリィン様は立派な方です。国を支える礎として陛下を支えておいでです。その貴方が国をどれだけ愛おしく思い、故に誰かと選ばなければならない局面で国を選ぶことくらい、その方にも分かるでしょう」
「……」
 シリンは曖昧に笑う。
「貴方が選ぶほどの方です。その方とて、国を憂い、愛しているはず。何が最善であるか判断できる方ではないでしょうか。ならば貴方が選ぶ事も分かっているはずです」
「それでも私は……」
 言いかけて、シリンは言葉を止める。
 言葉を選び直し慎重に言った。
「私は、大切な人は‘当たり前の幸せ’であってほしいの」
 自分に出来ない分、大好きな相手と結婚し、子供を作り、たまにケンカをする。そんなごくありふれた幸せの中にいて欲しいと思う。シリンと結婚すれば必ず玉座が絡んでくる。当たり前の幸せなんて望めなくなる。
 その人の為に全てを捨てられればどんなに幸せかと思う。けれどシリンにはそれが出来ない。
 王女という立場はシリンの一部であり、捨て去ることが出来ない。裕福な生活を捨てられない訳ではない。そんなものが無くとも生きていける。捨てられないのは幼い‘エア姫’そして今の‘シーリィン王女’を救うためにどれだけの人間が犠牲になったかを知っているから。それを捨てて行けば自分がどれだけ後悔し、一生自分が許せなくなることを知っているから。
 そんな状態のまま、大切な誰かと幸せになんかなれない。
 だから捨てる事は出来ないし、捨てようとは思わない。何よりそんなことになれば相手の人間は「王女を攫った」ということになりかねない。どちらにしても苦労を掛けてしまう。
「‘当たり前の幸せ’なんか要らないと言われたらどうされますか?」
「………」
「どんな苦労をしようと、この国を守り、貴方と共に歩んで行きたいと。貴方と共にあれるのであれば当たり前の幸せなど要らないと言われたらどうされますか?」
 真剣な眼差しで聞かれ、シリンは声をたてて笑った。
 まるで問い掛け自体を無かったことにするかのように。
「そこまで愛して下さる方がいらっしゃれば嬉しいと思うわ」
「茶化さないで下さい、私がお訪ねしたいのは……」
 シリンは口元に指を立てた。
 それ以上言うな、という意思表示のように。
「リズはエスメラルダさまと頻繁にお会いするようになってから少し意地悪になったみたい」
「シーリィン様!」
 顔を赤くして抗議する彼女をくすくすと笑う。
「大切なのでしょう? あの方が」
「私とエスメラルダ殿はそんな間柄では……」
「そんな間柄?」
 悪戯っぽく訪ねてみると彼女の顔がますます赤くなった。
「か、からかわないで下さい」
 シリンはますますおかしくなって笑う。
 エスメラルダとのことを抜きにしても、彼女は最近少し変わったと思う。アドニアに逆賊が入り込み、ヒルトの命が狙われた。彼女も首謀者を捕まえる為に奔走し、シリンが捕らえられた際も度々外の情報を流してくれた。あの時彼女がどうしていたのか詳しく知らない。
 ただ、全てが解決した後、ジズやアリオトと言った同輩に対しての態度が軟化した。棘を含んでいた言葉が柔らかくなった。
 彼女も幸せになって欲しいと思う。
 大切な人なのだ。妹のように愛らしくて、彼女もシリンのことを大切に思っていてくれる。だからどんなことがあっても、最後に笑えるような人生を送ってもらいたい。
 自分の回りにいる大切な人には、好きな相手と結婚して幸せになって欲しいと思う。無論結婚こそが幸せではないだろうが、大切な人と笑っていられるような幸せであってほしいと思う。
 自分には難しい。でも、
(……それでも)
 好きだと、愛していると言われたら自分はどうするのだろうか。そんな奇跡起こり得ないけれど、共に入れるだけで幸せなのだと言ってくれたらどうなるのだろうか。
 自分は何を選ぶだろうか。
 考えかけて、シリンは小さく自嘲する。
 今は明日のことだけを考えよう。どうすれば波風立てずに断ることが出来るか、どうしてヒルトもジルもこの見合いの話を持ち出したのかを考えて、どうすることが最善なのか考えよう。

 この国の、未来のために。
モクジ
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